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IWAGO

写真集「スノーモンキー」撮影エピソード

写真集名:

スノーモンキー

発行日:1996年11月25日 第1版
発行所:株式会社 新潮社

世界各地の野生動物を撮影してきた僕が、日本の野生動物を本格的に撮影する初の被写体に選んだのが、長野県北部の地獄谷に生息するニホンザルの群れです。地獄谷のニホンザルといえば、冬に温泉を楽しむサルとして、みなさんもご存じかもしれませんが、1970年にアメリカの写真雑誌『ライフ』に「スノーモンキー」として紹介され、一躍世界の注目を集めました。温泉につかるサルというと、その気持ちよさそうな表情からヒトと似通っていると捉えがちですが、同じ霊長類の仲間ではあっても、サルはサル、ヒトはヒト。先入観を持ってヒトの範疇で見てしまっては、サルを理解することはできません。僕は1994年から3年間をかけ、できる限りサルの視線になってサルの行動を見つめ、徹底的な観察のもと撮影を行いました。

地獄谷温泉につかる、年寄りのニホンザル。頭にしんしんと雪が降り積もる。

年寄りのニホンザルが、じーっと温泉につかっています。地獄谷温泉の湯温は、摂氏42℃ぐらい。よほど湯加減が心地よいのか、先ほどから微動だにせず、頭に雪が積もるのもおかまいなしです。温泉にいちばん初めに入ったといわれるのは、好奇心旺盛な若いサル。それを大人のサルが真似をして、地獄谷のニホンザルたちが入るようになったといいます。温泉には、お母さんとアカンボのサルが一緒に入りにくることもあります。アカンボはすぐのぼせて温泉の縁に上がろうとしますが、お母さんのほうはもっと温泉を楽しんでいたいような表情を見せたりします。人里離れた山奥にあり、一年の3分の1ほどが雪に覆われている地獄谷。急峻な崖に囲まれ、絶えず温泉の噴煙があがる光景を見て、いつしか人々はここを地獄谷と呼ぶようになったといいます。しかしここは、ニホンザルたちにとっては、唯一無二の楽園なのかもしれません。

子ザルが雪玉を持って追いかけっこをする。足先が冷たそうだ。

この写真は『ナショナル ジオグラフィック』誌1994年12月号の表紙を飾りました。これを撮ったのは、立花隆氏の『サル学の現在』という本がきっかけです。そのなかに、サルが雪玉を持っている写真があったのですが、僕はサルがそんなことをしているのを見たことがありませんでした。さっそく地獄谷野猿公苑の方に、「こんなの見たことがない」と問い合わせたら、「崖の下でしょっちゅうやってるよ」との返事。僕は地獄谷に何回も訪れていて、いままで何を見ていたんだと思い、改めて地獄谷に向かいました。子ザルたちが追いかけっこをしながら走ってきて、一頭が雪面に転がっていた小さな雪玉を拾い上げました。雪面に擦りつけると、雪玉は大きくなり、それを持って逃げ出します。後ろから走ってきた仲間が追いつくと、雪玉を落としてしまいます。しかし、落とした雪玉に未練はないのか、そのまま追いかけっこを続けます。僕はこの冷たそうにしている足先の動きに興味を持って撮りました。そこに、この子ザルの感情が表れていると思います。喜怒哀楽の表し方は人間とは違うと思いますが、動物を見ていていちばん楽しいのは、その動物の感情が見えたとき。そのときがシャッターチャンスです。ほんの一瞬のことで、逃すことも多いけれど、動物のエモーショナルな部分が表れる写真を撮りたいと、いつも思っています。

ニホンザルがヤマザクラを食べている。地獄谷に、食べ物が豊富な春が来た。

雪解け水を集めて川が流れると、地獄谷に春がやってきます。木々が芽をふくらませ、花を咲かせ、切り立った急斜面が淡い色彩に染まる頃、地獄谷はサルたちの食べ物が豊かにあふれだします。ヤマザクラ、ヤシャブシ、ヤナギ、ケヤキ、カエデ……サルたちはそれぞれ思い思いに木に登り、居心地のよさそうな枝に座って、おいしそうな木の芽や若葉や花を選んで食べます。サルたちの動きを観察していると、どうやらヤマザクラは3分から5分咲きが好みのようです。満開のヤマザクラは見向きもせず、通り過ぎてしまうのです。僕は試しに、花を口に含んでみました。満開の花は甘みがなく、3分から5分咲きのヤマザクラは花芯にほんのり甘みがありました。サルたちはおいしいものをよく知っています。フキやタラノメなど山菜も芽生え、サルたちは群れになって山々を巡ります。そして、この豊かな春、群れにはアカンボが生まれます。

紅葉の木の上で、親密に寄り添うオスとメス。顔もお尻も真っ赤だ。

秋はニホンザルの交尾期。大人のサルはオスもメスも顔やお尻を真っ赤にし、僕はこの季節のサルがいちばん絵になり、カッコいいと思います。メスよりも体が大きく力も強いオスは、交尾相手のメスを求め、オスであることを誇示しながら群れを横行します。その群れに生まれたオスだけでなく、他の群れからもオスが来ます。大人のオスが通っていくとき、若いオスたちは道を開けるように散らばります。メスは子どもが襲われないようにガードします。秋は、オスに噛まれて怪我をするサルも多く、何だか山が戦々恐々としている感じです。オスとメスがペアになると、群れのはずれで2頭は寄り添い、交尾を繰り返します。交尾の合間にはグルーミングをし、指先を器用に動かしてシラミの卵を見つけては口に運び、より親密さを深めます。やがて秋が暮れて冬になり、また春が巡ってくると、群れにはアカンボが生まれ、いのちが繋がっていきます。