写真集「海からの手紙」撮影エピソード
写真集名:
海からの手紙
発行日:1981年11月20日 第1版
発行所:朝日新聞社
僕の初めての、野生動物の写真集です。生物学者であるレイチェル・カーソンが書いた『われらをめぐる海』に触発され、27歳から3年間かけて世界の海を舞台に撮影。『アサヒグラフ』に60回に渡って連載され、「第5回(1979年度)木村伊兵衛写真賞」を受賞しました。動物写真家であった父の助手として19歳のときに訪れたガラパゴス諸島の自然の驚異に圧倒され、動物写真家としての道を歩み始めた 僕は、30歳のときのこの受賞を機に、写真家としてやっていく思いを強くしました。
イカが飛ぶとは! 掲載されるや大反響。
南極行きの船に乗り、インド洋上を航海していたときのこと。オーストラリアのクリスマス島を過ぎた頃、僕は船首にカメラを構え、望遠レンズでトビウオの撮影をしていました。そのとき突然、シューッと鋭い音。ロケットが発射されたかのような音でした。驚いて振り返ったら、トビウオではない何かが飛んでいるのが見える。急いで望遠レンズのついたカメラを向けファインダーをのぞいたら、「えーっ、イカじゃないか!」。1回の滑空で50mくらい飛び、滑空は2回しか見ることができませんでした。船に同乗していた生物学者に、「イカが飛んで行った」と言うと、「それはスゴイな」と言うものの、彼の専門は鳥類だったので、詳しいことはわからずじまい。この写真は『アサヒグラフ』に掲載されると、大きな反響を呼びました。航空力学を専門にされている東京大学の東 昭教授も関心を示され、写真を拡大して調べたところ、足の間に膜があり、それが揚力を発生させているのでは、というお話。トビイカという種類のイカであることがわかりました。
光に魅せられた、真夜中の南極。
これは1979年、夏の南極大陸に行ったときの写真です。南米大陸にいちばん近い南極半島の、アンドボード湾で撮影しました。実はこのとき、真夜中。夏の南極は日が沈むことなく、気温も−2℃くらいでさほど寒くない。30mはあった氷山が崩れ、いろいろな形になった氷塊に光がきらめく光景は、息をのむほど美しい。僕は大きな船からボートで氷の陸地に上がり、逆光のなかをヨチヨチ歩くヒゲペンギンを夢中になって撮影しました。さあ、そろそろ帰ろうかというとき、なんと、乗ってきたボートが見当たらない。1時間半ほどの撮影中に、湾は流氷で埋め尽くされ、ボートははるか向こうに。穏やかに見えて、自然の力の凄さを思い知らされました。結局、流氷が流れ去るまで2時間ほど、僕は氷の上でただ待つしかなかった。その頃はペンギンもどこかに行ってしまいました。
野鳥が好きな、アメリカの友人を思い出す。
これはアメリカ・フロリダのキー諸島で撮影したチュウサギ。『アサヒグラフ』に掲載された一連の写真で「第5回(1979年度)木村伊兵衛写真賞」を受賞した後の、最初の写真です。この写真を見ると、アメリカに住む友人のことが思い出されます。
ある日、アラスカのセントポール島で海鳥を撮影しているとき、同じように海鳥を撮影している男性と知り合いました。彼は野鳥保護の団体に属し、アマチュアではあるけれど、撮影した写真はみな寄付しているとのこと。今度アメリカに来たとき、フロリダのウエストパームビーチにある自宅に遊びに来いと誘われ、ある時、フロリダの彼を訪ねました。そして、びっくり仰天。迎えに来てくれたのは、運転手つきのロールスロイスに乗った彼。とてつもなく広い農場を保有し、入口からアーリーアメリカン調の木造りの家まで、6㎞ほどもありました。食卓につくと、まるで貴族が出てくる映画のシーンのよう。長いテーブルの端と端に彼と僕が座り、給仕さんがサーブしてくれました。彼はとんでもなくリッチマンだったのです。
彼は鳥類の専門家を呼んでくれ、モーターボートを借りて一緒にキー諸島に鳥の撮影に出かけました。翼を広げ、ゆうゆうと空を舞う鳥たち。すると、にわかに雨雲が色濃く広がり、雨だと思ったとたん、土砂降りに。あわててバッグに押し込んだカメラは、間一髪セーフでした。これは、その時の写真。下着までずぶ濡れになりましたが、僕たちはゲラゲラ大笑いでした。
写真はアングル。珍しい動物である必要はない。
世界最大級のサンゴ礁地帯であるオーストラリア・グレートバリアリーフのヘロン島で撮った写真です。ヘロンとはサギのことですが、この仲睦まじいカップルの鳥はギンカモメ。どこにでもいるような海鳥です。僕は透きとおるようなエメラルドグリーンの海の色を背景に入れたくて、白い砂浜に這いつくばり、カメラを低く構えました。ローアングルで撮ると、ギンカモメの存在感もグッと大きく引き立ちます。僕はネコの撮影でもローアングルをよく使いますが、決して珍しい動物ではなくても、写真は撮り方しだいです。
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