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IWAGO

写真集「氷のゆりかご」撮影エピソード

写真集名:

氷のゆりかご

アザラシ成長日記

発行日:1994年4月10日 第1版
発行所:株式会社 小学館

カナダ東部のセントローレンス湾では毎年2月下旬から3月上旬、北極圏から流氷とともに集まってきた約10万頭のタテゴトアザラシがいっせいに出産・子育てをします。そして、厳しかった寒さがゆるんで氷が割れ始める頃、子アザラシはひとりだちの時を迎え、やがて1頭また1頭と生まれ育った湾を離れ、北の海を目指します。これまで撮影取材したことのない地に行ってみたいと考えていた僕は、生まれたばかりのタテゴトアザラシに会いたいと、1993年にセントローレンス湾を訪れました。
寝泊まりしたのは、セントローレンス湾内に位置するマドレーヌ諸島。タテゴトアザラシのいる氷上に撮影に行くには、ヘリコプターで行き来するしかありません。氷海上を飛ぶと、晴天の日はアザラシの群れが点々と見えます。流氷は風や潮によって移動するため、昨日と同じ位置にはありません。氷上に降り立つと、そこからは歩いて撮影です。氷にはところどころにアザラシが海中に行くために開けた穴があり、凍える海に足を突っ込まないよう用心深く進まねばなりません。荒天の日は、視界が白一色となって空と氷海の区別がつかず、飛行は不可能。飛べない日が続くと、子アザラシたちが育ってしまうのではないかとヤキモキしました。この写真集は、こうして撮影したタテゴトアザラシの成長日記。雪と氷の世界で芽生えたいのちの愛しさを感じとっていただけたらと思います。

寝る子は育つ。子アザラシが起き上がると、「氷のゆりかご」ができていた。

このタテゴトアザラシの子は、生後5日目ぐらい。生まれたての赤ん坊は、母アザラシの胎内で羊水の色に染まって黄色い毛をしていますが、この頃になると白い毛になってきます。タテゴトアザラシの子は母アザラシの温かな胎内から出てきたとたん、凍てつく氷点下の世界にさらされます。まだ湯気が立ち上っている、出産直後の赤ん坊を見たこともあります。生まれると、母と子は互いの匂いを確かめ合い、子は母の乳首を求めます。なかなか見つけられないと、母は前ヒレで子を乳首へと促します。出産後の2日間、母アザラシは子とずっとくっついていますが、その後は授乳が済むと、氷に開けた丸い穴から海中へと出かけたりします。子アザラシは乳を飲む以外、母アザラシが掘った穴の近くで、ほとんど1日中寝て過ごします。仰向けになってじっと寝ていると、そのうち体温で氷が溶け、アザラシ型の窪みができます。この窪みは「氷のゆりかご」と呼ばれ、写真集のタイトルもここからつけました。子アザラシはお腹がすくと、大きな泣き声で母アザラシを呼び求めます。僕が寝転がって撮影していると、お母さんと間違えたのか、ハイハイして近寄ってくる子もいました。

生後8日目ぐらいの子アザラシが、お母さんに誘われ、海の中へと入った。

生後1週間ほどたつと、子アザラシの動きも活発になります。母アザラシが授乳を終えて海中に戻ると、大声で泣きながら後を追う姿を見かけます。泳ぎを覚えるのも、この頃から。母アザラシを追いかけて流氷の縁まで来た子は、お母さんが潜った水の中に恐る恐る頭を入れたりします。海中にいるお母さんは子を招くように、海面から顔を出したり潜ったりを繰り返します。そのうち子アザラシは氷で滑り落ちるように、海の中へ。初めて水につかった子は、パニックになったかのように大慌て。バシャバシャ必死で水を掻き、何とか氷の上に這い上がります。初日は慌てふためいていた子も、翌日ともなれば、水の中にいるのも平気な顔。子アザラシはこうして、泳ぎを身につけていくのです。

凍える海に手を入れて撮影した。たっぷりと母乳を飲んだ子アザラシは、まるまるコロコロしている。

泳ぎを覚え始めた生後8日目ぐらいの子アザラシ。僕は氷上に這いつくばり、極寒の海に落ちないよう足を支えてもらって、手だけを海の中に差し入れて撮影しました。この頃の子アザラシは毛色も白く、まるまると太っています。母アザラシが与えるミルクは牛乳の10倍もの脂肪分があり、1日に2kgずつ体重が増加。たっぷりと脂肪がついた体は浮力が大きく、海面下を浮かんでいるだけで、海の中に潜ることはできません。子のすさまじい成長スピードとひきかえに、母アザラシは痩せていく一方。生後2週間ぐらいの授乳期間はほとんどものを食べず、繁殖期に向けて皮下に蓄えていた脂肪を消費し続け、毎日3kgずつスリムになっていきます。子育てを終える頃には、体重の4分の1が失われるといいます。

お母さんはもう、そばにいない。白い毛が抜け、衣替えする頃、子アザラシはひとりだちの時を迎える。

成獣になると背中に竪琴のような模様が現れることから、その名がついたタテゴトアザラシ。成長とともに、体の色を変えていきます。生まれたときは黄色がかっていた毛は、フワフワの白い毛へ。白は、氷上で危険から身を守るための保護色なのかもしれません。そして生後2週間ぐらいたつと、白い毛が抜け始め、灰色の斑点が体に現れ始めます。この写真の子アザラシは、生後3週間ぐらい。前ヒレで頭や顎の下を掻くと白い毛が舞い上がり、毛が抜けた部分は黒い模様に。毛変わりはさまざまで、一頭一頭が個性的なファッションをしています。
母アザラシは約2週間の授乳期間を終えると、子を離れ、氷原から姿を消します。子アザラシは泣きながら授乳を待っても、母アザラシが戻ることはありません。春はもうそこまで。子はお母さんを呼ぶのをあきらめ、ひとりだちの時を迎えます。あちこちで泳ぎ始めた子の、ヒレで水面を叩く音が聞こえてきます。3月下旬、大量のプランクトンが発生した豊かな海で、お腹をすかせていた子は2~3週間にわたって食べまくります。そして生まれ育った湾を離れ、北の海へと出発します。