写真集「カンガルー時間」撮影エピソード
写真集名:
カンガルー時間
発行日:1992年7月10日 第1版
発行所:株式会社 小学館
オーストラリアでアカカンガルーの生息密度が最も高いとされているのが、スタート国立公園です。ニューサウスウェールズ州、南オーストラリア州、クイーンズランド州にまたがり、昔はヒツジの牧場があったところです。この写真集は、1986年から1990年頃にかけて撮影取材をしたときのもの。かつてヒツジの毛刈り職人が寝泊まりしていた木造の建物をベースキャンプとして、長期滞在もしました。
アカカンガルーは観察しても、何かよく理解できない一種不思議なセンスの動物でした。車が接近すると、エンジン音だけで走り出すアカカンガルーもいれば、行き過ぎる車を見送ってから、ゆっくりとまわれ右して跳躍していくのもいる。数頭で草を食べていて、1頭が走り出すと、残りもそれに従う。でも、走る方向はまちまちだったりする。独特のリズムで生きているのです。カンガルーの時間と、我々の時間は違うなぁと思い、『カンガルー時間』というタイトルにしました。
全力疾走するアカカンガルーを、ジャストピントで撮影。
地平線を望む草むらをアカカンガルーがダイナミックに跳躍していきます。彼らは全力疾走すると時速40〜50kmものスピードを出し、大きなアカカンガルーになると、一度の跳躍で約10mも前進します。その姿をジャストピントで撮影するのは、なかなか大変でした。跳躍するときは尾でうまくバランスをとり、方向転換するときには尾を地面に強く打ちつけます。逞しい肩の筋肉、短い前足、長い後足、そして太い尾。ややアンバランスにも感じられるフォルムなのですが、こうして力強く跳躍するアカカンガルーを見ていると、それらは砂漠の暮らしの中で、ひとつひとつ獲得してきたものだと思えます。
「オヤジっぽいなぁ。」撮影しながら笑ってしまった。
これは、超望遠レンズで撮影したオスのアカカンガルー。最初は地面に寝そべって、のんびりくつろいでいました。動作はとても緩慢です。体長は2mほどありそうです。そのうち立ち上がると、体をポリポリと掻き始めました。まるでオヤジのような姿で、ファインダーをのぞきながら思わず笑ってしまいました。爪は鋭く尖っており、掻いた爪の跡が筋になって赤い毛に残ります。背中を掻こうとしても、なかなか前足が届きません。肩の筋肉はみごとに盛り上がり、じつに逞しいオヤジです。アカカンガルーのリズムで、ゆっくりと時間が流れていきました。
ヘリコプターから見るアカカンガルーは、僕がイメージするフォルムに近い。
この写真は、朝いちばんの光の中、ヘリコプターから撮影したアカカンガルーです。スタート国立公園に広がる赤い砂漠は凸凹が多く、車だとなかなかカンガルーに追いつけません。時には小さなヘリコプターをチャーターし、空からの撮影を試みました。操縦士は昔、ウシの牧場があったとき、カウボーイではなく、ヘリコプターでウシを追いかけていた〝ヘリボーイ〟。地面ギリギリを飛んでもらい、カンガルーと並走するように撮影したりもしました。
空から見るアカカンガルーは、僕がイメージするのと近いフォルムでした。そして意外に白っぽい。地上で見るアカカンガルーのほうが、もっと赤く感じます。赤い地面に強い光線が反射して、体の色をよりいっそう赤く感じさせるのかもしれません。こうして視点を変えて俯瞰して見るのも、野生をありのままに捉えるには必要なことだと思います。〝ヘリボーイ〟とは200時間以上、一緒に飛びました。
親子のアカカンガルー。美しいフォルムに、見惚れてしまった。
日が沈む頃、地平線を望む丘陵に、アカカンガルーの親子がいました。そっと用心して近づいたのですが、親はハッとしたように頭を上げると、猛然と駆け出しました。そのあとを子どもが遅れまいと追いかけていきます。夕暮れのオレンジがかった空を背景に、2つのシルエットがリズミカルに跳躍します。僕はかねがねアカカンガルーをシルエットで撮影したいと考えていたのですが、この時ついに思い描くような撮影をすることができました。
ご存じのようにアカカンガルーは育児袋で子育てをしますが、繁殖において、じつに驚くべきメカニズムを体内に備えています。アカカンガルーのメスは、一度に3頭の子を持つことができます。1頭目は育児袋からすでに出て、乳だけもらう子。2頭目は未成熟の状態で生まれ、育児袋の中で乳を吸う子。そして3頭目は、メスの胎内にいる細胞分裂の過程にある子です。雨が降らずに、食べ物である草が芽生えないなど、とりまく環境が子を育てるのにふさわしくなければ、なんとメスは胎内の細胞分裂を一時中止し、よい環境になるのを待つのです。2頭目の子が育児袋で乳を吸っている間は、3頭目の子は胎内で生き続けます。すべての生きものがそうですが、新しいいのちのエネルギーには感動があります。育児袋から出たばかりの子がけっこう速く走るのには驚かされます。
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